俺言語の必要性
アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインタフェースだからだ。
いまやパソコンは消耗品であり、キーボードは大切な、生涯使えるインタフェースであることを忘れてはいけない。[東京大学 和田英一 名誉教授の談話]
http://www.pfu.fujitsu.com/hhkeyboard/dr_wada.html
鞍は当初既製品ですが、使い込んでいくにつれ
そのカウボーイにとって素晴らしいオーダーメイドのようなものになるのでしょう。
-
-
- -
-
プログラミング言語もインターフェース。
コンピュータに仕事をさせるためのインターフェースです。
最初は既存の言語を学ぶことが多いと思います。
その言語が手になじんできたら 新しい言語を学ぶ。
その言語が手になじんできたら・・・
仕事が変われば最適な言語も変わります。
しかしプログラマは言語を使う側であり、
プログラマが言語に使われるわけではありません。
様々な言語に自分の手を合わせるのではなく
今やっている仕事に合わせた言語を作る。
最終的には自分自身のために言語を作り
仕事に応じて形を変えていく。
そうありたいです。